生きるために辛い選択をするなら死ぬために楽しい選択をしたい

最近、銀魂にはまっていてNetfllixエンドレスで見ている。

 

なんなら映画版も何本か見た。

 

過去に見たことはあるので真新しさはないが

何度見ても面白いものだ。

 

そんな銀魂に影響されたかのような今回のタイトル。

 

黒背景に白筆で書かれたようなあの感じ、想像してほしい。

 

 

 

銀魂や、その他戦闘系アニメには付き物な生と死。

本来死と隣り合わせの生であるはずだが、

現代は寿命を迎えるまで生きるのが当たり前の考え。

 

不本意な死は、確かに非情だ。

けれども本意な死はどうだろう。

 

私は夜更かしもするしタバコも吸う。

毎日寿命を削っていることになるのだろうが

辞めるくらいなら死んだ方がマシというものだ。

 

だから私は人と会うのを辞めた。

ヨルシカの、だから僕は音楽を辞めた風。

 

何が誠で何が偽りか不透明になり、

私のことを知っている人からしたら

もはや過去の私は死んだも同然。

 

みんなそれぞれの正義があるのはわかるのだが

人間の数だけ衝突は生まれる。

 

私は元々、言動に対しての信用性は見出してなく

行動がその人の本質だと常々思っている。

 

契約書でも用意しない限りいくらでも言動なんて

書き換えられる。

 

自分でも無意識に人を傷つけていることもあると思う。

この前ああ言ったのに。

特に酒好きにはよくあることだ。

 

プライベートでも仕事関係でも

上記のようなことが起こりはじめ

何もかもが面倒になった。

 

HSPが故に、

他人のちょっとした言動や行動が気になってしまう。

それが良くないのはわかっている。

 

また、他人を信用してはいけないと頭ではわかっている。

けれども性格上、どこか期待をしてしまう。

 

今年で28歳、おそらく同年代の中でも

多くの人と関わってきたと思う。

 

仕事をコロコロ変えては都度仲良くなったり。

学生時代から飲み歩いて知り合いが増えたり。

 

それでも結局は自分自身を一番信じないといけない。

自分自身で行動を起こし、生きていかないといけない。

 

 

 

忘れてはいけないのが、

私のことを大事に思ってくれている人のことは

しっかり大事にするということ。